2024年5月19日から20日にかけて、西武の『サステナ車両』第1陣として小田急8000形8261×6が甲種輸送されました。
2023年10月17日 小田急現役時最後に撮った8261×6
小田急の通勤型車両が他社へ譲渡されるのは富士急へ渡ったABFM車以来ですかね?
通勤型が譲渡されることはもう無いんじゃないかと思っていたらまさかの大手私鉄同士、西武への譲渡が発表され驚愕してから8ヶ月が経ち、ついに甲種輸送の日がやってきました。
5月17日 前日までに喜多見→大野→海老名と回送され、甲種輸送に向けた準備が行われていました。連結器が自動連結器に交換され、反射板が付き仮設のブレーキホースか何かが付いていますね。
小田急線内の牽引役には長いこと1000形の未更新車が使われていましたが、1000形未更新車が全車廃車になってから初の牽引車が必要になる甲種輸送だったので何が牽くのか気になるところでしたが、ここのところ単独運用に入っていた8257×6に中間連結器が取り付けられ、8261×6の前に停まっていました。
新宿方には1064×4がこちらも中間連結器を付けて繋がれていたのでまさかの16両編成?と思いましたが、これは海老名検車区内の入れ替えを担当していただけでした。
今では1000形+8000形の連結は見られなくなったので、久々の組み合わせでちょっと懐かしくもありますね。
翌日5月18日、小田急線内で過ごす最後の日になりました。
定期なのか代走なのかよく分からないですが、千代田線16000系85編成と並んでいました。
新5000形と1000形もいまして、もころん号も走っていました。
そうこうしているうちに、8257×6が連結。この状態で終電後の出発を待ちます。
日付変わって5月19日深夜、新松田駅に向けて出発。小田急線内最後の走行を見送りました。
搬出回送を撮るのは10年以上前のRSE以来な気がしますが、大体同じくらいの時間で来ましたね。
夜が明けて海老名検車区を見ると8257×6は中間連結器を外して普段通りの姿で休んでいました。
甲種輸送は松田→沼津→川崎貨物という経路ということで、川崎新町に行ってみました。
さすがに日曜日なだけあって人がたくさんいましたね。
上り下りどちらのホームにも人だかりあったのでどこを甲種輸送が通るのかわからなかったんですが、浜川崎方面ホームで待っていたら中線を通っていって間違えたなと。
でも向こうのホームでも結局架線柱掛かるしそもそも川崎新町自体が微妙だったかもしれないです。まあガチガチの撮り鉄ではないしこれでも十分です。
京急大師線で小島新田へ移動して川崎貨物へ。貨物駅に佇む小田急8000…。
ここでもう一晩明かすことになります。
翌日5月20日、半休取って新秋津へ向かいました。
10時前、ついに新秋津の譲受線へ8261×6がやってきました。
小田急の車両が西武や武蔵野線と並ぶことって無い(強いていうなら新4000形が常磐線で流鉄の元西武の近くを通る、新松戸で武蔵野線と交差することはあるかも)ので不思議な光景ですね。
元209系訓練車も動いていました。初めて来たのでどのくらいの頻度で動いているのかわからないですがラッキー。
10時40分頃、ついに西武線内の牽引車新101系263編成が小田急8261×6と連結。
まるで模型のような光景が現実に…。昔から馴染み深い小田急8000形とあの西武3ドア車の連結なんて好きな物同士だけど絶対あり得なかった組み合わせなのでわざわざ来た甲斐がありました。
後ろから。西武の黄色い電車と連結しているのは違和感がすごいですが、小田急8000を見ると実家のような安心感がめちゃくちゃあります。
263編成側から。牽引車として使われているところを見るのは前に所沢駅で多摩川線からの車両交換を偶然見た時以来2回目でした。
平日ですがさすがに初めて小田急が来るっていう事で人がたくさん集まっていました。
よくみると前面窓に2台ほどカメラが取り付けられていました。後日西武のYouTubeとかで映像が出るんですかね。
この後11時40分過ぎに小手指へ向かって出発しました。
11時40分発の武蔵野線に乗らないと出勤時間に間に合わないと思っていたので遅れると思いましたが、なんとか1本前の小田急に乗り継げたので間に合いました。
こんなに甲種輸送を続けて追いかけたことは今までありませんでしたが、やっぱり小田急8000形がずっと好きということや、西武も好きな私鉄であることもあって2日間良いものを見られました。
今後西武でどんな整備が行われるのか、形式はどうなるのか塗装はどうなるのかいろいろと気になりますが、今後の活躍に期待したいですね。